私の地元川西市を流れる「猪名川」をテーマに市民活動を展開していた折、関西学院大学の片寄俊秀教授と出会った。“まちづくりプランナー”として活躍されている教授が「三田の旧市街に旧家を借り、大学ゼミのラボを開いて学生たちと活動しているから見においで」というので、出かけてみた。
「ほんまちラボ」はなんとも懐かしい空気の漂う商店街、三田町本町通りに面していた。1801年建造豪商神田惣兵衛屋敷の一角であったという、何とも言えぬ風情を醸し出す8坪ほどの小屋である。「こんど向かいの家の空き部屋も借りようと思っている。これもいいよ」ラボの玄関から道路を挟んで眺めてみた。モルタル塗りの壁が立ち上がっていて一見古民家だと気づきにくいが、中に入り小屋裏を見て驚いた。大きな丸太がふんだんに使った迫力のある小屋組が封じ込 められていた。「余計なものを剥し昔の状態に戻せば良いものになりますね」そんな会話をしたのを憶えている。
それから5年ほど経ち、仕事の傍ら続けていた市民活動は、個々の問題から市民活動全体の底上げへとテーマを変えながらいつの間にやら「川西市市民活動センター市民事務局事務局長」の肩書きを負っていた。作家の村上龍さんをお招きした講演会を企画した時に、三田市で同じ視点で活動をしているという女性に出会った。この女性が「三田ほんまち交流館“縁”」の施主である。そして訪ねていった建物がなんと、ほんまちラボの向かいのあの迫力ある小屋組を持った旧家であった。
この旧家で生まれ本町通りで育った施主は、お父さんが一人住まうにはやや持て余し気味なこの建物の一部を住居として改装し、残りのスペースを何らかな形で開放したいと考えていた。そこで、作業は誰が何を目的としどのようなスペースを作るのかといった事項の整理から始めることにした。以下はそれらをまとめ、まちの人たちに呼びかけた際の企画書の文面である。
武庫川沿いに広がる三田旧市街は、ややもすればニュータウン開発がクローズアップされがちな三田市において、今後、観光やまちづくりの重要な要素になっていくだろうと思われます。奈良の「ならまち」や伊勢河崎、大阪空掘商店街界隈等、全国で町家・長屋の再生プロジェクトが一定の成果をあげていることを考えると、旧市街地に残された風情ある町並みを保存・再生していくことに、新しい三田の「顔」としての可能性を感じずにはおれません。
私たちの考えるこの「三田ほんまち交流館“縁”」は、まず瓦屋根に格子窓のある往年の外観デザインを改修工事により取り戻します。内部は施主居宅を一部兼ねながら、現況を生かしできる限りオープンな空間を作り、各種イベントや講座、打合せなどに対応できるよう改装して、まちの拠点として地域に開放しようというものです。
ほんまちには、通り側の外観を改修すれば昔の表情を取り戻すことができる古民家が数多く残されています。しかし今のままでは「もったいないが壊すしかな い」という結論しか選択肢はなくなるでしょう。この交流館を創ること(考えること)が連鎖の起爆剤になればと考えています。このような建物が増えれば、町並みとしての美しさを取り戻し、また通りにたくさんの人が集まってくるようになるでしょう。
三田旧市街を中心に、これまでも多くの方々が活動をされてきました。そんな方々とつながりながら、また新しい人々をつなぎ、旧市街と新市街をつないでいく、“縁”のある交流館を創りたいと考えています。
●位置付け
・ほんまち通りの交流拠点
・旧三田市街のまちづくり拠点
・三田観光の情報拠点(観光協会のサテライト)
・各種団体催しの発表拠点(プチホール)
●利用
・ミニ講演会/講座 講習
⇒土間の間 畳の間
・ギャラリー
⇒土間の間 蔵
・イベント
⇒全スペース
・打合せ
⇒畳の間 小屋の間
・サロン
⇒みせの間
工事は、信頼のおける工務店を推薦し中心に置き、通りの地元業者さんの協力を得、脇を固めた。また、できるだけたくさんの人々に関わってもらおうと、工事過程の塗装工事、造園工事はボランティアを募集し、作業を手伝ってもらった。
三田ほんまち交流館“縁”は、完成後、静かな反響を呼びながら、さまざまな活動に利用されている。今後、この建物の存在が起爆剤となり新たな展開が始まることを期待している。
※ほんまち通りのまちづくりの様子や縁のことが紹介されています。
『まちづくり道場へようこそ』 片寄俊秀 著(学芸出版社)
『商店街は学びのキャンパス』 片寄俊秀 著(関西学院大学出版会)